〝地道な努力〟

〝地道な努力〟

日本共産党南関東ブロック事務所が呼びかけた署名提出行動に参加するため国会へ行きました。

神奈川、千葉、山梨3県の地方議員・候補者、支部のみなさんが集めた『安倍9条改憲NO!憲法をいかす3000万署名』など、16,188筆を畑野君枝衆院議員に手渡しました。

恒例となった活動交流では、「来年1月の市議選で得票を増やし、参院選の躍進につなげたい」(山梨)、「小学生たちが『戦争はダメだ』と話していた」(神奈川)、「『共産党なんて支持しない』と言っていた人が、話しているうちに『支持する』に変わった」(千葉)など、決意や手応えが交流されました。

みなさんのがんばりにいつも学ばされます。

おわった途端に飛び出し、今度は神奈川県の旧相模湖町(現相模原市緑区)へ行きました。

日本共産党相模湖支部が22年前に発行したミニニュース『明日の相模湖』(最初は「かわらばん」)が800号を迎え、記念のつどいに田所健太郎市議とともに駆けつけました。

元町議の宮崎昭子さんが1995年12月に初当選し、町民と日本共産党を結ぶ媒体として発行が始まりました。住民目線から地域のこと、地方政治や国政のことなどをとりあげ、多くの方に愛読されたのだろうと思います。

とくに合併問題のときには、合併の問題点や日本共産党の見解を伝え、住民投票では53票差で反対が上回る力になったことも紹介されました。(残念ながら、町長などの独断で覆されてしまいます)

そして、田所健太郎さんの初当選にも結実しました。

私が入党して23年です。

『明日の相模湖』と同じ時代を歩んできたことが本当に感慨深い。とくに、二大政党づくりで日本共産党が前進できないときも、発行する人、配る人、読む人による営みが、2013年以降の第3の躍進の波、2015年市議選での田所健太郎市議の初当選に結実したと思います。

そして、私が日本共産党千葉県委員会に勤務し、一番最初の担当が「ちば民報」という新聞の編集でした。

いまでこそ新聞編集はパソコンでやりますが、かつては割付用紙に見出しや写真、記事の流し方を書き込み、印刷会社が製版する方式でした。字数計算を間違え、たくさんの字余りで困ったことも。お願いした記事や写真が締め切りを過ぎてもそろわず、「あー、(自分の)土下座写真を載せるか…」と何度も頭をよぎったものでした。

だからこそ、発行を続けることの喜びとともに大変さもわかります。「継続は力なり」をかみしめながら、お祝いのごあいさつを話しました。

いつも山梨行きのときに通り過ぎる相模湖に初めて降りました。紅葉が見頃で、とても心が洗われる思いです。みなさんと「参院選がんばろう」と握手することができ、力をもらいました。